2013年6月16日日曜日

英語のまえに国語を勉強すべき?

ぼさん(敬称をどうつけてよいのかわからないので略(^^;)のブログ「* ぴさん英語 *」で紹介されていたプレジデントFamily 2013年7月号の「子供たちよ、英語のまえに国語を勉強せよ。」という記事を読んでみた。

英語などを勉強している暇があれば、国語力を鍛えよ、という主張は今も昔もいたるところにある。いろいろな政治的背景が絡んだりするので面白い。だいたいこういう主張をするのは保守派なのだが、記事の著者である内田樹氏は、日本人だから日本語!という思想の堂々巡りに陥らずに、国際政治という視点からの英語という視点から主張しているのが面白い。この視点は、別に内田氏が新しく思いついたということではなく、国際政治という枠組みで考えれば当然出てくるものだ。

氏によると、現在の子どもたちの英語力の低下は、試験対策に特化したがゆえの逆効果だという。
かつての「英語が好き」な子供たちは、誰に言われなくても英語の小説を読み、英語の音楽を聴き、英語の映画を観て、厚みのある英語力を身につけた。
「英語が好き」と意識しているかどうかはともかく、これは親子英語でどこの家庭でもやっていることなので、そういう意味では、内田氏の主張というのは親子英語とは矛盾しない。

で、とってつけたように最後に「英語のまえに国語を勉強すべき」という主張がされている。

どちらかというと、内田氏は日本が国として英語教育をどうとらえるべきか、という話をしているように思う。公教育でどのような教育をするべきか、と個人が自分の子どもにどのような教育をするべきか、は切り離して考えるべきだ。

「英語のまえに国語を勉強すべき」かどうかを考えた場合、親子英語を実践している一個人として気になるのは以下のポイントだろう。

1.英語を学習することにより、日本語(国語)の学習が妨げられるのか
2.国語は学習すればするほど力がつくのか

1に関しては、少なくとも幼児期に関しては2言語を同時に習得することのデメリットは確かにある。一日に触れることのできる言葉の量には限りがあるし、別の言語を交ぜればその分、日本語の分が減るからだ。

ただ、接触量と言語習得は比例するわけではない。母語の語りかけの多いお母さんと少ないお母さんを比べると、確かに言語習得の速度に差は出るのだが、語りかけが半分だと習得も半分、というわけではもちろんない。

最初多少のハンデはあるが、成長するにしたがってデメリットが消えていく、という研究結果が多い。小学校以降に外国語として英語を学ぶような場合は、もちろん、デメリットを示すような研究結果も理論的根拠もない。

親子英語的には、母語の運用能力についても、最新の注意を払っていく、という教科書的な答えしかない。

これに関連した議論として、2がある。英語を学ぶために国語の時間が減れば、これは国語力に良くない影響が出てくるだろう、という主張だ。

これはまったく個人的な意見だが、「国語は科目として勉強すればするほど学力がつく」ということ自体があてにならないのではないかと思う。ここで注意すべきは、時間数と学力の関係で、時間数がゼロの場合とたとえば週5時間の場合を比べれば、もちろん差がでるだろう。だが、それを10時間にした場合はどうか。20時間にするとどうか、と考えていくと、疑問だ。少なくとも学力が比例して伸びるわけではない。小学校の時間割はそのあたりを考慮した上で構成されている。

そもそも、国語力(それが日本語でも英語でも)を伸ばすための手法として何が正しいのか、はっきり見えていないのが現状なのではないだろうか。

もちろん、はっきりしている訓練方法はいくつかある。まずは読書で、これは言語の運用能力を身につけるために不可欠だ。次は、日本語では漢字、英語ではスペリングで、これも時間をかけて練習する必要がある。3つめは語彙力、これも読書を通じての他、ワークで勉強することができる。

だが、現代日本で必要とされる「国語力」は、漢字が書けるということでも、たくさんの言葉を知っているということでもなく(これらは前提になるが)、論理的に考えてそれを文章に表現する、という能力だ。日本の義務教育には、この能力を訓練するシステムが圧倒的に欠けている。

アメリカでは(私はアメリカのケースしか知らない)、小学校の段階から非常に型にはまった形式の作文を練習していく。テーマに対して必要な資料を集め、それを提示するというプロセスを繰り返す。これが日本の一般的な国語の授業との大きな違いで、だからこそ、大学から留学すると作文で何が求められているのかもわからずに右往左往する、というようなことになってしまう。

私は、この能力は実は日本語・英語といった言語の枠にとらわれない思考のスタイルのようなもので、どちらで身につけた能力であっても、別の言語にも応用可能であると思っている。

特に小学校の間は、科学や地理、歴史などいろいろなことをなおと一緒に英語にこだわることなく学んでいこうと思っている。まだ書くこと自体がおぼつかないが、そのうち、文章を作るということに関しても、親子でできるかぎりは取り組んでいくつもりだ。こうして得られた知識は、その後の学校教育でも、さらにその後も、必ず活きてくるはずだ。


私が国語の学習について懐疑的なのは、私自身が国語をたいして勉強せずにきてしまった、というのもあるのかもしれない。少なくとも受験という観点からは、現代文で困ったことはない(が、漢字すらまともに勉強しなかったため、漢字が書けない…)。

私は自分の国語力は読書によるものだ、と思っていたのだが(なおままもまったく同じタイプ)、いろいろな人の話を聞いてみると、そう簡単ではなく、読書は好きだが国語ができないタイプ、読書はしないが国語ができないタイプ、といろいろいる。だが、全体的に見ると、読書で国語力が鍛えられるのは間違いない。

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8 件のコメント:

ひでにな さんのコメント...

いつも興味深いお話を読ませて頂いています☆

国語に関してはなおぱぱさんが仰るように作文能力は本当に大事だなぁと思っています。

かくいう私は国語が苦手で、特に文章を書くのが本当に難しくて学生時代のレポートや仕事上のメールやドキュメント作成が辛かったのを覚えてます。

自分の考えを伝える、文章にして表現する、こういった能力は子供のうちから身につけさせないといけないなと痛感して、ちょこちょこと息子に作文(日記)を書かせています。もちろん日本語です!

余談ですが、昨日息子のサッカー教室を見学していたら小学三年生のお母さん方のお話が聞こえてきて、「うちの子の日記の宿題を見たら、『雨、花』と単語しか書いてなかった。」と文章が書けないと嘆いてました。
いやー、ちょっと日本の将来に不安を覚えました。。。

ものぐさハハ さんのコメント...

タイトルを見た時、あれ?この議論はなおぱぱさんの中では結論が出たと思ったのに??と思ったのですが、なるほど記事のタイトルだったのですね。
我が家で、日本語と英語を同時進行で進めていくことは変えませんが、プレジデントFamilyの記事は、とても面白く、頷ける内容でした。なんだか矛盾してるようですが、、自分の中では矛盾していないです。うまく表せませんが。。あぁ、国語力の無さです。。^^;

Cassis さんのコメント...

私も現代文ではまったく困った経験がない者の一人です。
読書感想文では何度か賞ももらいました。
が・・・「論理的に記述する」ということに苦労しました。

新聞社の就職試験対策の通信講座でも、コラムで高得点が取れても、小論文で取れない。

司法試験のテストをしてみても、理解していることを論理的に決められた字数内で表現できない。

大学院の時にフランス語の講座で仏人教授から、君の書く文章はスピーチであって論文になっていない、と・・・。

理解を示す「型」を知らなかったこと。また、知ったあとも、訓練なしではうまくこの型に沿った記述ができないこと・・・

先日どなたかのブログでも、アメリカの子供たちが小さい頃から「感想文」の形でその「型」を習っていて、それが、クリティカル・シンキングの基礎になっているというようなのを読んだんですが・・・どなただったのかな(><)

ちなみに、フランスもそうです。小さい頃から論述訓練の積み重ね。
なので、バカロレア取得の試験も、1教科3時間での論文方式。

日本でこれをやったら、読むに耐えないものばかりで、成り立たないでしょうね~(=_=)

なおぱぱ さんのコメント...

>ひでになさん

まだ息子さん幼いのに、ずいぶんしっかり取り組めるのですね。すばらしいです。うちの子の3歳のときとは大違いのような(^^;

しかし、小3で『雨、花』というのはさすがに日本の将来を憂うレベルですね。

>ものぐさハハさん

ときどき雑誌記事なんかがでると、いろいろと言いたくなるのです(笑) あの記事自体はインタビュー記事だと思いますが、内田氏の文章も論理展開も見事ですよね。

私も、「ごもっとも」と思いながらも、でも自分のやっていることを変える必要は感じませんでした。いろいろな人にとっての、いろいろな教育方法があってしかるべきですし。

>Cassisさん

私は感想文は全然駄目なタイプでした(笑) 現代文が得点源でも、逆のタイプですね。

フランスの論述試験の話も聞いたことがあります。大学生にはそれだけの知的水準が求められる、ということですよね。

うちの子をどこまで鍛えられるか、ということはさておき、論理的な思考と主張は、日本の教育が弱い面だ、ということは意識していきたいと思います。

ぼさん さんのコメント...
このコメントはブログの管理者によって削除されました。
なおぱぱ さんのコメント...

>「ぼ」さん

ごめんなさい!寝ぼけてiPad触ってたら間違えてコメント削除してしまいました。しかも、復活できない…。タブレットはどうにも操作性が…。

「ぼ」さんということは、これですでに敬称つきなんですね。

そうじゃないかな、と思っていたのですが、確認していただいて安心しました。

cotton さんのコメント...

内田氏のインタビュー、実際、娘を見ていてそう思うので「英語ではなく母語でしか創造することはできない」あたりはとっても面白いなあと思いました。いろんなことを考えることを始めて創作をしてる娘を見てるとそこを英語で!と日本語を取り上げるようなことはできなくなってきたような気がしていたので。。。
でもその他の部分は内田氏の記事がわたしに響かなかったのは国際政治的な観点で英語ばかりに流れるな、、、とおっしゃっているからだろうなあと。。。それでわが家のような一個人が日本語を守りたいから英語はやりませんという姿勢ではいられない気が。。。
でもこの内田さん、かつての英語好きの子どもたちを知ってるだけまだマシかなあと思いました。
これからもこういうことを頭におきながら
取り組みしていくことは大切だなあと思いました。
またまた考える機会をいただきありがとうございます!

なおぱぱ さんのコメント...

>cottonさん

受験のための英語学習ではしっかりとした英語力が身につかない、と言っているので、その点は同意できますよね。

単に親子英語に突っ走るんじゃなくて、ときどき振り返りながら周りをみるのも大切ですね!