2013年9月25日水曜日

英語の「才能」?

るきぽさんのブログ記事「もし、才能がないって気付いたら?」を読んでから、ずっと考えていたことがある。

そもそも、親子英語に「才能」というのはあるのだろうか、というのがまず出発点。

日本に生まれ育って家庭で日本語を話し、義務教育を公立の小学校で受ける場合、「才能」が問題で日本語が話せないということはない。

親子英語の場合、第2言語である英語に同程度の接触を行うことは不可能なので、吸収の度合いによって、獲得できる能力に差が生じる、というのは当然ありえる。その吸収の度合いを「才能」と呼べないこともないだろう。

それは言語だけでなく、さまざまな学力、運動、芸術でも同じことで、「才能」の違いで、同じように習い事に通っていても、出来不出来に差が生じてくるのは避けられないだろう。



では、「才能」をどう判断するのか、というのが次の問いになる。

まずは、年齢による発達の差がある。いつも競馬を連想するのだが、馬も子どもも、早熟タイプと晩成タイプ(実際には、もっといろいろなタイプ)がある。早いうちからガンガン鍛えるのがすべての馬、いや子どもにとって最適のパターンとは限らない。

現時点で同程度の訓練をしても他の子どもほど伸びないからといって、後に伸びないというわけではない。

また、英語の「才能」は単一の能力ではなく、多岐にわたる。よく喋るけれども読みはそうでもないタイプ(うちの子はどちらかというとこっち)、読みはすごく上手だけれど、さほど自発的に喋らないタイプ、発音とリズムはずば抜けているけれど、表現が単純なタイプ、いろいろだ。もちろん、どれもずば抜けているお子さんもいるのだけれど、それは運動でも勉強でも同じこと。

子どもの「才能」は変えられないし、さらにいえば、親である自分が与えられた環境なり資源なりにも限界がある。できる限りの範囲でできることを積み重ねればよい。



さらに、最終的に「才能」がたいしたことがない場合、親子英語を継続するべきかどうか。

これは、それぞれの家庭での考え方によると思う。

私にとっては、親子英語というのは、運動や勉強と似たような位置づけだ。

運動も勉強も、たとえ才能がなくても、「1番になれないのだから、運動も勉強もしなくてもいいよ」という判断にはならない。たとえ、トップになれなくても、少しずつの積み重ねで、少しでも前に進めるなら、それは今後のなおの人生にプラスになるはず。

0か100ではなくて、40が50や60になるだけでも大きな意味がある。

毎日、できるだけ子どもが楽しめるかたちで、英語を生活の一部にしてしまえば、たいして負担なく達成できるのではないか、と思う。

ちなみに、なおの場合、空手は、最終的に決して上位にはなれないだろうと思う。それでも、超インドア派の我が家では、小学生の今、体を動かす習い事には意義があり、週ごとの活動になおが多少なりとも得るものがあるからやらせている。

ピアノに関しても、途中で飽きるのか、または最終的にどこまで弾けるようになるか、私にはさっぱり見当がつかないが、同じ考え方だ。

子どもの人生を切り開いていくのは子ども自身で、我々はその手助けをしているに過ぎない。将来、少しでも役に立つだろうと思われる武器のひとつとして、英語を位置づけているからこそ、才能は気にせず続けていきたい。

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4 件のコメント:

マンゴー さんのコメント...

なおぱぱさんが、子どもを競走馬に例えるとは(笑)! でもホントそのとおりだと思います~。そして分かりやすい(笑)

うちも偶然、なおくんと同じ系統なんですが(英語、ピアノ、格闘技)、どれがいつどう花咲くか、あるいはモノにならないか、誰にも分からないな~と思っています。どれも確実に1番にはなれないでしょうが、今やらせていることがいくらかでも子どもの人生を豊かにする糧になれば、と。現時点で英語にかける比重は大きいけれど、将来「英語なんて要らないからもう辞めた。私は自分の道場を開きたいの」って言われても応援できる心構えでいたいと思っていますが、どうでしょうねぇ^^;

時間とお金をかけてやらせている以上、成果を求めてしまう気持ちもすごくよく分かりますが、どこかの時点で「やらせてもらって良かった」と少しでも思ってもらえたらそれでじゅうぶんだと思わないといけないですね。あるいは、全然畑違いに思える分野でも「あのときのあの経験が役に立ったな」という瞬間があれば嬉しいな、と。

夢は大きく、でも期待はしちゃいけないな~、と思いながら子育てしてます。

りゅうママ さんのコメント...

英語じゃなくて習い事の話になりますが、うちは二人ともこれ習いたい!って言わない(心の中でも思ってない( ̄▽ ̄;))二人なので、あれこれやりたいと自分で言う子がうらやましいですぅ。
誰しも小学校前ぐらいからこれがやりたいと言うから始めた…とか聞くので、うちはなぜか二人とも何もしたくない人たちで(-o-;)

何かやりたいと言えば、とりあえず何でもやらせてあげたいと思うのに、多分、おそらく、それはなさそうです…。

英語に関しては才能うんぬんではなく、活発で快活で物怖じしない積極的な親子英語の子どもたちを見て、いつもいいなぁと思うので、何かとアプローチしやすい、しにくい子どもっていうのはいるだろうなぁと思います。
その結果は、大人になってから分かるのかなぁ。

るきぽ さんのコメント...

お騒がせしております・・・・・。

うちは、しゃべりも、読みも、発音&リズムもすべてアレなんで、やっぱり「才能」というか何かが欠けてるんだと思います。

「才能」という言葉で片付けるのは、ちょっと強引でしたが、身内の恥を曝け出すようでアレなんですが、うちの旦那は恐ろしく国語ができません。
(もちろん英語は赤点取るほどできなかったそうです^^;;;;)

学生時代、いくら努力しても漢字は全然覚えられないし、授業中本読みを当てられると進まないので、絶対に本読みを当てられることはなかったそうです。

そして、現在、私も決して日本語の運用能力は高いとは言えませんが、旦那の日本語の理解力はかなり低いかと。

しかし、数学センスはあったようで勉強しなくても満点だったそうです。

私は逆に計算はできるけれど、応用力がなく数学センスはありませんでした><

なので、どうものんたろは旦那の国語(語学)力のなさと私の数学センスのなさを受け継いでしまったようです。
(あとは性格の問題もあります。)

もちろん、今後、開花するということもないとは言い切れませんが、そういうセンスって結構、小さい頃からある子は一味違うように感じます。

我が家も保育園のスイミングは本人が楽しかったら上手下手はどうでもいいと思えるんですけどね・・・・。

なおぱぱ さんのコメント...

>マンゴーさん

競馬は好きだったんです。ゲームだけですけど(爆)

高校進学率が100%近いことを考えると、英語はまず役に立つので、うちでもどうしても比重が高くなります。

他の習い事も含めて、成長してから、子どもの時こんなことをした、あんなことをした、という記憶に残るのも大切ですよね。

「夢は大きく、でも期待はしちゃいけない」、そのとおりですね!

>りゅうママさん

りゅうちんは友だちづきあいが上手で、放課後楽しく毎日遊べるから、習い事なんて必要ないのかも?

今の子どもたちにはむしろそうした経験が重要なのかな、と思うこともあります。

だから習い事も、他の子と遊んだりする機会が多い、というのも選ぶ基準になってます~。

中学校の部活で何か真剣に取り組み始めるのかな?

>るきぽさん

普通の英会話教室に行くと物足りないわけですから、絶対的な水準として、欠けているわけではないと思いますよ。

るきぽさんの向上心は大きな武器だと思うんですが、常に上を見続けることでストレスを感じるよりも、今できることに満足する方が続けるエネルギーになるかも。

両親からの能力の遺伝、まだまだ年齢的に全然わからない段階ですけど、子どもがもってうまれたものを最大限に活かせるような環境を作るところまでが親の仕事かな、と思います。