別に家庭教育に意味がないと思っているわけではなく、準備ができた状態の子に、適切な働きかけをすることによって、その子どものポテンシャルを最大限引き出してあげるのが、家庭・学校の教育での最大の目標だと思う。
家庭学習の重要性は重々承知しているが、星一徹の大リーガー養成ギプスのようなもので、早い時期からガリガリと詰め込んでも、結局後で伸び悩んでしまうのでは、という印象をもっていた。
ところが、昨日読んだこちらの本で、軌道修正というか、考え方を少し変えなくてはならないかな、と感じてる。
著者のマルコム・グラッドウェルはジャーナリストで、14年前に出版されたベストセラー、"Tipping Point"で有名になった人だ。さまざまなジャンルの科学的研究について精通していて、書かれている内容の説得力がすごい。
こちらの本のタイトル"outlier"というのは、「飛びはずれた人たち」、ずば抜けて成功した人たちについての考察がまとめられている。
まず、誰もが重要な要因だと考える知能、IQについてだが、意外なことに優れた知能は必ずしも社会的な成功を意味しないという。社会での成功では、もってうまれた頭脳にくわえて、対人スキルが重要になってくるが、これは生まれつきのものではなく、環境によって育まれる。
また、アメリカの裕福な家庭と貧しい家庭の子育て方を小さいサンプルながら徹底的に調べた研究例も面白かった。子どもの年齢は小3。裕福な家庭では、習い事が圧倒的に多く、場合によっては野球にサッカー、水泳、さらにはピアノにオーケストラの楽器までやっていたとか。一方、貧しい家庭では、習い事はあったとしても、子どもが自発的に始めた費用のかからないものばかり。
もちろん、これは別に驚くべき話でもなんでもなくて、日本でも同じような状況にあるのは容易に想像がつく。
別の違いは、裕福な家庭での過干渉とも言える親の関わり方と、貧しい家庭の放任主義だ。
裕福な家庭での親の関わり方は、単に習い事のために送迎するといった物理的な活動だけでなく、学校や習い事における我が子の様子を子どもからしっかり聞き、必要であれば教師やインストラクターに働きかけて、子どもの才能や意見、技術を最大限に発揮できるように工夫する。
一方、貧しい家庭の場合は、子どもの教育は学校の責任であり、子どもは自然に育つように育つという思想だ。
どちらが正しいということではないのだが、実際に子どもがどのように成長していくかという点に限れば、裕福な家庭における育て方の方が圧倒的に有利だ。習い事を通じて、さまざまな状況でいろいろな人々と接する機会があり、適切に自己主張することを学べる。
もちろん、過干渉気味の裕福な家庭では、また別の問題が生じうるのだが、それはまた別の問題。
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日本語訳もでている。勝間和代さんが訳しているということもかんけいしているのか、レビューがあまり好意的ではないのが残念。原著はAmazon.comで圧倒的な高評価を得ている。
ここで紹介したこと以外にも、算数の成績を決めるものは何か、など子育てのヒントになりそうなことがたくさん書かれていたのでお勧めだ。
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