なかなかにインパクトがあって、いろいろな方々の琴線に触れたと思われる、この前の記事「親子英語に対する世間の冷たい目」で、親が子どもに英語で話しかけることに対する生理的嫌悪感についてちらっと言及した。
今回は、その理由というか源泉について考えてみよう。
ただ、特に今回に限っては情報源が限られている、と先に言い訳しておく。というのも、傍からみてわかるように、私はばりばりに英語で語りかけをしている。その私に向かって、面と向かって「英語で子どもと話すのは気持ち悪い」とは普通の神経では言えないからだ。前回、紹介した彼のように冗談として話すぐらいだろう。
ただ、自分のケースに限って、「自分は子どもとは英語では話せない」という方とは結構話したことがある。
で、ここからは多少私の想像だが、おそらく、自分の子どもと英語で話すのが嫌なだけでなく、日本語の通じる日本人と英語で話すのが嫌なのだと思う。
そう考えると、私自身もそうした感覚は昔あった。まともに英語で話す、という経験をした大学時代はそうだし、留学中も初期はそうだったと思う。理由は割とはっきりしていて、単に「英語では言いたいことが言えない」というフラストレーションがつきまとっていて、さらに言いたいことが自由に言えない自分に対する劣等感のようなものが強く刺激されるからだ。
そのあたりのネガティブな感情が嫌悪感につながる、というのが私の想像だ。
例の冗談を言った彼の場合も、留学をしていたものの、真の意味で自分を表現することが英語でできず、フラストレーションがあったのでは、と想像する(こんなこと、まともに聞けないので、確かめようがないが)。
前回の記事でぼさんにコメントで教えていただいた、帰国子女ママさんたちの場合、帰国子女であるという独特の立場がまた別の影響を与えるだろうと思う。海外に行ったものの、最初言葉が分からず苦労した経験、日本語から別の言語に切り替えるのに苦労した体験を持っている人は、自分の子にはそんな苦労はさせたくない、まずは日本語だけをしっかりさせたい、と思うだろう。逆に、比較的スムーズに日本語と英語の2言語を操る状態に移行した人は、そもそも英語で表現できない、というフラストレーションすらないだろう(まあ、この場合は英語でもネイティブになるが)。
さらに、言語は文化、国家と強く関連する。政治的な理由で、たとえば攘夷思想をもっている場合(古くさいな)、英語なんて敵性言語はけしからん、ということになる。同じように、ある言語が流ちょうでも、その言葉が話されている国で不快な体験をした場合、言語自体に否定的になることもあるだろう。
生理的嫌悪感を持っている人にインタビューをして、理由を探っていけば、上に書いたようなことがどこかあてはまるかもしれないし、あてはまらないかもしれないが、それは不毛だろう。
結局のところ、自分がやるかどうか、そしてどのようなやりかたをするか、だけだ。
ちなみに、私が知っている親子英語の先輩家庭では、幼いときに少しでも語りかけをしていた家庭は多いが、すべてではない。そして、ほとんどのケースで年齢が10歳を超えた現在では親子で英語を話してはいない。が、どの家庭も十分、それぞれの目標を達成したか、もしくはそれに向かってまだ進行中だ。
語りかけはあくまでも英語をコミュニケーションのためのツールとして子どもに認識させるための1つの方法で、良い訓練方法だとは思うが、決して唯一のものではないのだし、そこにあまり神経質になる必要はないと思う。
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2泊3日のキャンプからとうとうなおが帰還した!かなりぐったりした感じで、そうとう疲れたのだと思う。無理もない。
ものすごい笑顔とともに楽しかった!と叫ぶほどではないようだ。今回ちょっと失敗したな、と思ったのだが、送り出したサッカーキャンプは、参加者のほとんどがサッカークラブに所属している子どもたちだったらしい。仲の良いともだちがいるわけではなく、さらにサッカーにさほど詳しくもない(そして運動神経も良くない)なおにとって、必ずしも居心地の良い場所ではなかったかもしれない。
それでも、3日間、それなりにいろいろな経験をしてきてくれたと思う。一応、来年は英語のサマーキャンプに行かせたいな、とこっそり考えている。
帰宅後は、ペンギンズ・オブ・マダガスカルを2本見て、さらに(なぜか)マジックスクールバス。食後は、ちょっとたまっている学校の宿題と日課の英語ワークをやらせた(鬼か)。
寝る前にリーダー絵本を出そうとしたら嫌がられ、なおが選んだのは、Who Would Winシリーズのこちら。昔、スカラスティックのブッククラブで購入したものだ。面白いシリーズなので、日本のアマゾンでの取り扱いがなくて残念。興味の対象年齢は1~3年生、リーディングレベルは3年生。最初の3/4ぐらいはなおが音読してくれたが、途中で疲れて交代した。このレベルだと単語の発音が結構怪しいものがあって、音読してもらうとよく分かる。が、もちろん、指摘なんて聞き入れない(^^;
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9 件のコメント:
先日の記事もたった今読みました~(^^;)
いやはや、真っ向勝負してくる人って珍しい(笑)
実はワタシ、まだそれほど「嫌悪感」を経験したことがないんですが、相手は「ママ」だけに、ものぐさハハさんの言っていた「表では言わない、裏で言う」ってやつかも(笑)
なおぱぱさんは、「割と感情的な反対意見」をぶつけてこられてもそれに反論するんじゃなくて、その反対意見を分析するんですね!さすがっ!
実は心の奥底で、イラっとしたりしないものですか?(^m^)
なおパパさんの深い考え方、興味深いです。バイリンガル教育に関して、保護者としてここまで考えてらっしゃる方の見解を目にするのは初めてです。しっかりした考えのもとに英語育児されてて本当に素晴らしいと思いました!
我が家は国際結婚家族で、主人がスリランカ人です。スリランカで英語は3つある公用語の1つです。学校も英語か現地語で教える公立小中高校がいたるところにあります。
お付き合いしている、または、知っているスリランカ家族の全てが、英語&スリランカ語&日本語で育児しています。たぶん、多言語で育ち生活している人たちにはそれが普通なのかもしれません。スリランカ以外の外国人家族や、国際結婚家族もスタンスはあまり変わりません。彼らは日本だけでなく、世界のいろんなところで学び生活してきているからかもしれません。
私の場合、まわりの嫌悪感を感じても、そういう家族とのお付き合いが心の支えになっていると思います。世界は広いと。
我が家はといえば・・・結婚当初、私が英語で話したいと提案した時に「英語だと気持ちが伝わってこない、冷たく感じる」と、日本語で話すようにお願いされました。
でもお互い英語育児に対する考えは同じなので、子どもには英語で話しかけています。
私は主人にもっとスリランカ語で話しかけてほしいと思ってます。
こんにちは。親子英語を始めて手ごたえを感じている者です。
帰宅後の貴重な子供への教育の時間には楽しさも効率も重要ですが、特に道具も準備もいらない語りかけは私にとって一番簡単で手っ取り早い手段です。
深い内容でも英語で素早く応答できる、昔からの海外の友人たちからは(外国人ですが出身国はいろいろです)、子供の頃から家族と生活中で使っていたというのをよく聞いており、私の中では語りかけに対する疑問はありません。「使わなければ使えるようにならない」と私も思いますし、日本人がなかなか上達しないというのは実践不足だからではという疑念をずっと持っています。彼らとは大学時代に知り合いましたが母語に困っていた印象はありません(もちろんよくはわかりませんが)。
よく「留学したらすぐできるように」というのも、一定レベルまではそうだと思いますがその先は地道に積み上げる以外になく、時間がかかりますので、早い時期からじっくり家庭で取り組むのが最適なように思います。でもこれも親御さんが苦手なら外注がよいでしょうし、家庭の事情にもよりますので、ありとあらゆる家庭に一般化して呼びける事柄でもありませんが。
親なら誰しも我が子のために最善を尽くして子育ての方針を決めているものですし、よその家の方針を批判したり決めつけたりするのはどうでしょう。親子英語のブログは最近見始めて家庭学習の参考にさせていただいていますが、急に残念な内容が増えたように思います。
日本人同士で英語を話すのは嫌だというは分かります!
まずは、恥ずかしいから。日本人にとって日本人の英語が一番聞き取りやすくて、かつ間違いも気づきやすい。なので間違ってるって思われてるのかなぁと妙な緊張が走ります。
もう一つは、効率。複雑なことを話す時は、やっぱり少しの労力で済む日本語のほうが早いし、楽なので日本語で話したいです。
でも、子ども達が相手となると、私の場合、子ども達の日本語がしっかりしない内に始めたので、日本語も大して通じない相手だった、日本人同士という感覚がなかった感じです。自分の子なのに。。w
子ども相手に恥ずかしいことはないし、効率を求めるほど難しいことを話すこともないですが、日本語が通じる相手ならやっぱり日本語のほうが楽だからと続けられなかっただろうと思います。ものぐさですから~。
それで言葉が遅いかも?と悩んだこともありましたが、今となっては笑い話です。って、まだ笑うには早いかもぉ。
>Cassisさん
まあ、そういうケースは良くありますよね。裏で何を言われているか気にしたらきりがありません(^^;
感情的な言葉のぶつけあいって、相手を傷つけるのが目的ですから、いちいち気分を害してもしかたないと思います。心の奥底は察してください(^^;
>Gmarieさん
過分なお褒めのお言葉、ありがとうございます。
海外、それも多言語の環境に触れれば、複数の言語で子どもと接することぐらい当然だ、というのはすぐにしっくりきますよね。
ひとりひとり、言葉を操る能力も感じ方もそれぞれなので、各家庭でぴったりのやりかたは異なってくると思います。
>匿名さん
こんにちは!親の努力で気軽に始められてコストがほとんどかからない、というのが語りかけのメリットだと思います!
ある程度以上、いわゆる「英会話」を超えて英語を自分の言葉として使うには、ある程度生活の中で使っていくことが不可欠だと私も思います。そういう意味では、親にとっても育児というのはチャンスですよね。
ブログに関しては、あまり反対意見をぶつけ合うのではなく、日々の記録と交流の場として使っていきたいと思っています。
>ものぐさハハさん
そうそう、乳児のとき、日本語でも話しかけるのに違和感がある、というお母さんもいますよね。日本語が通じないのに話すのは変、と。そのあたりの違和感も面白いです。
言葉の遅れは最初感じることがあっても自然と解決するんですよね。もっとも英語をやってなくても遅れることも普通にありますし。
私も日本人同士で英語を話せない人です・・^^;
それがあるから、外でも語りかけが出来ないんだろうなと思います(笑)
コストがかからずお手軽、まさに私が語りかけを続けられた理由かも。
とはいえ、たっくんが生まれてからはホント、出来てませんが・・^^;
色んなパターンがあると思いますが、日中ほぼ日本語で過ごしている我が家は、家で少し語りかけするぐらいがちょうどよかったのかな??
私もCassisさんと同じで嫌悪感を示された経験はないですが、理由は違って、みんな知らないからです^^;;
>りゅうママさん
あれ、でもレッスンなら大丈夫なんですよね(^^) そう考えると、私も子どもとの会話でレッスンの側面を意識しているのかも。
兄弟で英語で遊べるというのは一つの理想型でうらやましいですよ~。ビデオや本でインプットして、兄弟で使うというスタイルが確立されているからだと思います。
その上で周りの人が知らなければ要らない波風も立たないですし。
はじめまして、二歳の娘に英語で話しかけている父親です。
私は娘が生まれた時から英語で話しかけていますが、そうすることに決めた大きな理由のひとつが「娘と一旦日本語で会話を始めてしまったら、きっと英語に移行するのは難しいだろう」と少し未来の自分を想像して考えたからでした。私は三歳くらいから語りかけを始めるのがベストではないかとその時は結論していたのですが、その移行がどうにも出来る気がしませんでした。私の記憶が確かなら、なおパパさんはなおくんが三歳の頃くらいから語り掛けを始めたのではなかったかと
思います。そのあたりの経験など、すごく興味深いのでそのうちブログに書いて頂けるととても嬉しいです(既出かもしれませんが)。
日本人同士で日本語を話すことに壁を感じない人はおそらくかなり稀だと思いますが、外資系の企業で勤めているとそういう状況に陥ることは多々ありますし、会話に参加している日本人の流調度が上がってくると、結構違和感が減少していくというのは自分の経験から言えます。あと変な話なんですけど、面と向かって話すより、電話会議で話たりする方が違和感が小さいんですよね。メールだと違和感をほとんど感じません。あまり深く考えたことはありませんでしたが、コミュニケーションにおける非言語的な部分が違和感を作り出しているのでしょうか。
いずれにせよ、興味深いお話ありがとうございました。
>quincedaddyさん
コメントありがとうございます。最近、親子英語界隈にパパさんが増えてきています!
我が家では三歳からですが、移行は結構面倒で繊細な作業でした。ブログにはちまちま書いたような気がしますが、まとめて書いてはいないと思います。また時間があるときに書いてみますね。
いろいろなケースをみて、また調べてみて、やっぱり、生まれたときからやるのが一番スムーズだろう、という結論に最近至りました。
英語で話す違和感、電話では少なく、メールではほとんどない、確かにそうですね。その場でフィードバック(英語のミスに気がつかれるとか)があるかないか、にもよりそうです。
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