2013年8月8日木曜日

「バイリンガル」ってどんな人?

私はなおの教育がらみで「バイリンガル」という言葉を使うのを避けてきた。というのも、「バイリンガル」という言葉には何か独特の重みがあるからだ。2つの言語を「完全」に操るのが真のバイリンガルだとすると、そんなものは最初から目標にすら入っていない、というのが正直なところでもある(最初に書いた記事)。

いろいろ調べてみると、実際には、バイリンガルという言葉にはいろいろな使い方があるということもわかってきた。定期的に親子英語ブログでも話題になったりする。議論はあるのだが、結論はでない。一番手軽な資料はWikipediaだと思うが、そこにもはっきりと定義が「非常に曖昧」とある。

素人的には2言語が「完璧」で「ネイティブ相当」ならバイリンガルだろう、と思うのだが、何をもって「ネイティブ」(正確には1つの言語しか知らないモノリンガル)に相当するのか、からして難しい。そもそも日本語しか知らない日本人でも、聞いたことを理解する能力、自分の考えていることを表現する能力にはばらつきがある。読み書きに至っては、それこそピンキリだ。

だが、ネイティブではない(英語の発音に訛りがあったり、文法に間違いがあったりする場合)話者が発達途上の子どもに語りかけをするべきかどうかについて考えてみて、いろいろと資料をあたってみたとき、すごく明快な主張があった。

それは、スイスのNeuchâtel University(かのピアジェが教授をしていた大学だ)の名誉教授、心理言語学者のFrançois Grosjean氏の主張だった。

"Myths about bilingualism"という記事で、バイリンガルというのは、2言語以上を完璧に操れる人だけに限らないこと、幼児期から言語を習得しただけに限らないこと、訛り・アクセントがあってもかまわないこと、と主張している。

もちろん、これは「バイリンガル」という言葉の定義の問題なのだが、この主張の背景には、バイリンガルという言葉を「完全」なものに限定してしまうと、あまりに珍しすぎて、その他大勢の2カ国語(以上)の話者を指す言葉がなくなってしまう、というのが根拠にある。また、能力には4技能あるので、まったく問題なく話せるのに書けない人、読み書きの能力はすばらしいのに話せない人などを分類するのに困る、という問題もある。

もう少し詳しく学んでみよう、とこちらの本も買って読んでみた。氏は専門的にこの分野を研究する学者なのだが、この本自体は一般向けに書かれていて読みやすい。

Bilingual: Life and RealityBilingual: Life and Reality


すると、現在でも専門家の間で意見がわかれるのだが、どれぐらい流ちょうに操れるか、という言語の能力で決めるのではなく、日常的に言語を使うかどうかという頻度と利用方法でバイリンガルを考える方向にシフトしているのだという。

つまり、2つ以上の言語を日常的に使っていれば、それが限定された場面だろうと限定された能力だろうと、「バイリンガル」と呼んでしまおう、ということだ。

これはわかりやすい。観光客相手のガイドで英語を話すボランティアの人も、観光についてのこと以外がまったく話せなくてもバイリンガルで良いわけだ。

そして、この本を読んでいたとき、なおに何の本を読んでいるのか聞かれ、"bilingual"についてだ、と答えたところ、この言葉を知らなかったので(そりゃそうか)、2つ以上の言語を日常的に使っている人のことを指すのだ、だからなおはバイリンガルなんだよ、と教えてみた。

すると、なおはきょとんとした感じで、じゃあパパもバイリンガルだね、と。

まあ確かにそうだ、と答えると、さらになおは、ママもそうだよ、と。本当は日本語担当のなおまま、実はときおり英語がでてしまうので、間違ってはいない。

なおにとってはそれだけのことで、何の感慨もないらしいが、私にとっては目が覚める思いだった。

François Grosjean氏のサイト、そして上の本には、現在日本で親子英語をする我々には参考になりそうな情報がたくさんあった。その中には、実はある意味すでに我々が当然のものとして前提にしているものもあるのだが、長年この分野について研究してきた専門家が断言してくれているのは改めて安心できる。

ここしばらくは氏の主張、というよりはバイリンガル研究における現在の動向をまとめた記事を書いていこうと思う。

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6 件のコメント:

cotton さんのコメント...

答えのない議題について自分なりにとことん考えてみることも必要ですよね。良い機会なので、多様な意見が存在すること、非常に曖昧で結論が出ないという点を忘れず、考えたいと思います。

なおぱぱ さんのコメント...

>cottonさん

どうすればバイリンガルになるとかならないとか、ややこしく考えないで、程度の差こそあれ、みんなバイリンガルでいいじゃん、という単純な切り口が目から鱗でした。

考えすぎると自家中毒になりますね(^^; 読んでくださるみなさんが飽きない程度に理屈っぽい話を混ぜていこうと思います。

よく考えたら、昔はこの手の記事がうちのブログの特徴でした。もう書き尽くした感はありますが(^^;

りゅうママ さんのコメント...

携帯から書いてたらアラームが鳴り、全部消えてしまいました(泣)

日本語教師になるときの勉強で、言語学でバイリンガルのことを勉強したんですよね~。
当時は独身だったし、子供に英語で語りかけるとか、子供をバイリンガルにとか欠片も思ってなかったので本当に勉強の一環としてただ習っただけだけど、本当に2言語の差がない完全なバイリンガル(?)はとても少ないと言っていたような気がします。
どちらかが強いだけならいいけど、その段階でアイデンティティがどこにあるか分からず不安を抱えた大人になったり、そういう何かしら問題が起こることもある・・・ということもなぜかすごくよく覚えていて、りゅうちんに英語育児を始めた頃や、そういう論争がブログ村で起こるたびに、そのときそういえば習ったなあ・・と思ったりしてました。

うちはもともとは「学校で英語で私のように困らないように」ということだけで始めたので、当初の目的は達せられたかな?と思います。
あとはせっかく今少し話せているので、できれば維持、できれば年齢相応に話せる英語力がついたらいいなと思いますが、日本語に迫る英語力を!!とか思ったことはないです。
それは、もちろん、上達すればするほどいいなとは思いますが(笑)

マンゴー さんのコメント...

バイリンガルという言葉自体、実生活ではほとんど見聞きしないんですよね。「この講師は日本人バイリンガルです」などという非常に限定されたシチュエーションでしかお目にかかりません。だから、自分自身も使うことに抵抗があるのかも。
とくに子どもに対しては、明らかに言語的にまだまだ発展途上中だと思ってしまうので、いくら両言語のバランスが変わったり使用状況、頻度が変わったりすることが前提でも、中学生くらいまでの子をバイリンガルとは定義しにくいです。
「学生時代までバイリンガルだったけど、就職して英語使わなくなっちゃったから今は違うの~。また転職したらなれるかもね」なんて会話が成立しちゃうとそれはそれで何だかややこしそうですよね^^;

ものぐさハハ さんのコメント...

私の母は、島の言葉(方言)と標準語を話すので、「バイリンガルだね~。」と茶化します。方言に読み書きは存在しないし、標準語の読み書きもかなり怪しいんですけどね。年齢も手伝って。w
まじめな記事に、とぼけたコメントで失礼しました~。

なおぱぱ さんのコメント...

>りゅうママさん

親子英語の場合は、日本語や学校での状況をしっかり見極めた上で英語の量を加減していくので、小学生になって忙しくなったからフェードアウトしちゃった、というケースはあっても、日本語に問題が~みたいなケースはありませんよね。

学校の英語の授業でどれだけ助かるのか、は先輩方の様子を見ていると予想がつくので、少なくともそれまでは続けないと!

>マンゴーさん

そうそう、この定義だと誰も彼もバイリンガルですから、ありがたみはないです。

ただ、使える状況がすごく限られたタイプとオールラウンドに使えるタイプ、教育・ビジネスで使えるタイプ、といったタイプわけができて、目的と目標がはっきりして良いような気がします。

その例の場合、就職して英語を使わなくなって、私生活でも使わなくなれば、5年もすれば相当忘れてしまって、転職しても苦労するでしょうし、そういう意味でも日常生活で使うことは重要ですよね。

>ものぐさハハさん

そうそう、言語学的には、つきつめて考えると方言と違う言語の区別がつかなくなってくるんです。沖縄の言葉は専門家には別の言語に数えられることがあります。

そういう風に考えれば考えるほど、「バイリンガル」を特殊なものと考えなくてもいいのでは、という方向に進んでいくのだと思います。