2013年8月9日金曜日

母語以外で話しかけることの悪影響

幼児に親が母語以外で話しかけるというのは、何か悪影響があるのではないか、という考え方は特に目新しいものではなく何度となく繰り返されるテーマだ。「世間の冷たい目」の根源はここにある。

以前書いた、日本人同士で英語で話すことの生理的嫌悪感がその根底にあってこの議論が引き起こされるのではないか、と思っているが、いずれにせよ、根強い主張だ。

話を簡単にするために、ここでは母語=日本語、外国語=英語とするが、この問題を考えるときには親の英語力と話しかける人(親)の役割の2つを考える必要がある。

1.話しかける人(親)の英語力

昨日書いたバイリンガルの定義でもそうだが、どこから「ネイティブ」でどこから違うのか、この線引きは結構難しい。日本語だけ身に付けた日本人の日本語力を10段階で10としよう。言語力を1つの数字で表すのは実際には困難だが、話を簡単にして会話力だけ考えよう。

すると、何らかの悪影響(これがまた曖昧だが)を引き起こさないような語りかけはどれぐらいの言語力の持ち主が行うべきなのだろうか。

ネイティブである10の人だけ?

最近はやりのオンライン英会話スクールではフィリピン人の先生が多いが、いわゆるネイティブではない、彼らの英語力をたとえば7~9とすると、このレベルの英語で語りかけ(というか会話)をすることによって悪影響があるのか。

幼児向け英会話教室で日本人の先生がいるが、同じ疑問が沸く。

いずれにせよ、ネイティブのみが会話の練習をすべきというならこれらの英語教育も問題にされるべきだが、なぜか親が子どもに英語を語りかける場合のみ問題視されるようだ。

2.話しかける人(親)の役割

オンライン・オフラインの英会話の先生は別に構わないが、親は母語以外を話してはいけないのだ、という考えることもできるだろう。

この場合、発達において特別な役割(主たる養育者)を持つから、という理由と、親が子どもと過ごす時間が長いから、という理由がある。このうち、時間が長いという理由の方は、たとえばフィリピン人の先生のいるプリスクールなどにもあてはまるが、プリスクールが問題にされることはほとんどないので、やはり理由は親(特に母親)が果たすとされている特別な役割にあるのだろう。

この主張の根は三歳児神話と共通しているのではないか、と思われる。この考え方は心情的には理解できるが、何か根拠があるようなものではない。

では、具体例を考えてみると、たとえば移民の家庭がある。特に昔は子どもが早く移民先の言葉に慣れるように、母親が母語以外を話すという方針をとることが多かった。こうした家庭の子どもが何か「悪影響」を受けたか、というと、そんなものはなかった、というのが現在の定説だ。移民であるが故のハンディキャップは存在するが、母親が母語以外を話していたこと自体が諸悪の根源だと考える人はいない。

ここまでは素人の議論だが、親が母語以外で話しかけることによって何か悪影響がある、という考え方はどうひいき目に見積もっても論理的ではない。

素人が議論をしていても終わらないので、前回の記事で紹介した心理言語学者のFrançois Grosjean氏のサイトにあった節を紹介しよう。ここには、広い意味でのバイリンガル、つまり日常的な2言語(以上)の利用に関する有益かつ確かな情報が多くある。

特に我々、つまり日本で親子英語をして子どもに英語を身につけさせよう、という親にとって重要な情報が"What parents want to know about bilingualism"というページにまとめてあり、ここにずばりこんな質問がある。
5. Is it all right to raise a child in a non-native language, even if parents don't speak the language absolutely perfectly (but well enough) and they don't have a perfect native accent (but it is good enough)? 
まさにそのものずばり、という質問がある。親が母語以外を話すことによってデメリットがある、という考え方は、別に日本人だけが感じてるものではなく、割と普遍的なものなのだろう。

氏による回答を要約すると、言語の習得には人間との対話が必要であり、その質と量が関係してくるが、自分の外国語が完璧ではない、というのは子どもに話しかけない理由にはならないし、実際に片方の親が母語以外を話すやりかたが存在する、ということらしい。

また、自分の外国語が全然駄目な場合は、子どもの言語への接触を増やすことが重要だ、とも書いている。



とりあえず、私としてはこれ以上論争はいらないのではないかと思う。バイリンガル関係はいろいろ調べたが、親は不完全な言語で話しかけるべきではない、という主張をきちんとした研究者がしているのを見たことがない。

移民の場合、家庭では親が移民先の言語ではなく母語で話すべきだ、という議論はあるが、それはまた別の話。

限定された親の英語力でも、ちょっとした語りかけや会話が、特に幼児期では子どもの発話を引き出す、というのは親子英語ブログを見ているとよく分かる。

バイリンガルに関する研究では、ビデオや絵本などはあくまで補助として扱われていて、基本は生きた人間との会話のみが「インプット」となる。個人的には、人間との対話がどうしても限られてしまう日本での親子英語で、活字・映像に頼るのはやむを得ないし、それなりに有効な側面があると思っている。

親の英語が限定されているからこそ、語彙や表現、発音をいかに教材から補ってやるか、というのが課題になってくる。次は、そのあたりに関連して、親子英語で繰り返されるもうひとつのテーマ、「かけながしの有効性」の話をしてみよう。

***

理屈ぽい話ばかりであまり日常の子どもの話ができていないが、実はもともと私生活でドタバタしていて、取り組みのネタがなかったりする。

今日からは一泊で関西近郊に出張に行ってきます。

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8 件のコメント:

Gmarie さんのコメント...

英語で話しかけ育児している上で、あんまり考えてはいなかったですが、気にはなっていた事でした。研究者の著書などを例に出して説明してくださると、より説得力があります。本も読んでみようと思いました。
もし良かったら、この記事ぜひシェアさせていただきたいです。

子どもが自分と同じぐらいのレベルで英語を使える方が、全く使えないより絶対いい!と私の根拠ない勝手な考えもとに今まできています。
旦那の母国語についても、幼稚園レベルしか話せないですが、やっぱり全くその言葉が出来ないよりは少しでも理解できて話せた方がいい、と思って時々使っています。

プリスクールで担任していた時に感じたのは、個人差はあれど、やっぱりお家で語りかけや読み聞かせに力を入れている家庭の子どもほど、英語習得スピードが断然違っていたことです。英語に浸っている時間が長くなるのはもちろんですが、1番は大好きなパパやママが楽しんで英語に親しんでいる姿をみること、そして親子の密な時間が増えることが自然に学ばせるんじゃないかと思いました。

トマト さんのコメント...

何も考えず語りかけも読み聞かせも全くやった事ないです。
いい時期にホストファミリーしたのがよかったのかな?
小学生になればWEBレッスンも使えますし。
かけ流しは【いける】って記事だといいな~
うちは自然には学んでないですね 回りに英語話す人がいないのに自然なんてありえないと思います。

なおくんとなおぱぱさんの親子関係がすごくいいのはわかるのでそれぞれですね。

マンゴー さんのコメント...

うちもトマトさんと同じく語りかけをしなかったので、ある意味(母語とくらべて)不自然な言語習得の仕方なのだろうとは思っています。語りかけが良いとか悪いとか、考えたこともありませんでした。

ただ、シンガポールのバイリンガル教育などを間近で垣間見た限り、きちんとした英語の(会話に限らず、補助を含めた)インプット以上に不完全な英語の語りかけが幼いうちに日常化してしまうと、子どもの言語能力は制限されてしまう場合が多いような気はしました。すごいシングリッシュを話す幼児の親はかなりの確率で、すごいシングリッシュで子どもに語りかけています。母語はいずこに? それは国レベルでも家庭レベルでも文化的にとても残念なことだと私は感じました。日本国内にいる限りはまず日本語優勢ですからそんな心配は無用ですが、やはり量とかバランスの問題だと思います。不完全さにも程度があること、そしてとくに幼児期は、他言語に時間を割いている分、確実に母語習得の時間は削られているのだ、という自覚は必要かな、と。ある程度子どもの言語能力が発達してからの対等な「親子英会話」はOKだと思います。これは、私個人の考え方です。

生理的嫌悪感については、日本は文化的にちょっと特殊な環境の国ですから、俗に島国根性などと言いますが、単一民族単一言語が当たり前、それ以外はちょっと……と考える人が潜在的に多いのかな、と思います。地域社会でもビジネス社会でも、同じ日本人である限りは同じ文化を共有することがとくに重要視されているので、「同じ日本人なのにわざわざ日本語以外で話すこと」への違和感はそう簡単にはぬぐえないのでしょうね。かくいう私も、日本に住んでいて日本文化の中で暮らしている日本人同士がわざわざ英語で話すことには、たとえば英会話グループレッスンなど隔離された状況で英語学習としての要素が大部分を占める場合でない限りは、相当に抵抗があります^^;

長くなってしまってスミマセン!

かりん さんのコメント...

はじめまして.
北米在住で我子と周囲に2,3ヶ国語を話す子が多数居ます.
昨日から紹介の本は米国で多言語教育の権威として有名です,しかし現在の主流は既に別に移っています.
原書と比較し誤訳,読違い,独自の解釈を散見します.
日本の英語教育に積極的な親に情報提供することは素晴らしく,その際は読者に誤解無きよう精査して記されますよう.
周囲は英語で生活する方が便利でも家庭内言語に母国語を選びます.
3ヶ国語を話す子の親として留学経験者の話に一理感じます.
生理的嫌悪で済ませず理由を考えてみては.

なおぱぱ さんのコメント...

>かりんさん

はじめまして。コメントありがとうございます。

北米在住で2,3カ国語を話す子が多いということは、移民のコミュニティでしょうか。

ちょっと誤解されているところがあると思いますが、北米において移民家族が母語を家庭内で維持する、ということに対して反対しているのではありません。

移民家庭と日本での親子英語では、環境の言語と家庭での言語、さらには第2言語学習を取り巻く政治的・経済的な意味合いがまったく異なるので、海外に移民された方に自分の母語である日本語を話すな、という主張をしているわけではないんです。

Grosjean氏の著作の紹介でもし、誤訳、独自の解釈等ありましたら、具体的に教えていただけると助かります。

また、多言語教育の現在の主流についても代表的な研究者を教えていただければ勉強します。氏のこの本は今年出たばかりで、最新の研究成果についても調査されていますよ。

北米での移民を対象とした研究では、根底にある価値観としての多文化の尊重という考え方から、移民も自分の母語を家庭内で話すべきである、考え方が主流だと理解していますが、これは氏の考え方に反するわけではありませんし、私がここで書いたことと矛盾するわけでもありません。

なおぱぱ さんのコメント...

>Gmarieさん

記事のシェア、どうぞ(^^) ご共感いただきありがとうございます。

今回紹介した本は専門家によるものですが、非常にわかりやすく書かれています。バイリンガル家庭、特に異文化のミックスを考慮するご家庭に多くの示唆を与えてくれると思います。

>トマトさん

トマトさんの場合、Webレッスンや英会話教室などを通じて、しっかり会話のトレーニングもされていると思います。英語での語りかけは誰もができるわけではないし、必須でもないと思います。

外国語の習得、別に「自然」である必要なんてないと思いますよ~。

>マンゴーさん

トマトさん&マンゴーさんは語りかけなしでしっかり会話力を鍛えてこられたご家庭なので、そちらの方針で進めていこう、という方には参考になると思います。

シンガポーリアンの場合、家庭で語りかけをしたかどうかよりも、その後、訛りのない英語に触れる機会が継続的にあったかどうか、の方が重要ということはありませんか?

母語でない場合、語彙や表現力が不十分だし、文法ミスなんかも多いでしょうから、年齢が上がるにつれて、外部からのインプットやアウトプットの機会を通じてレベルを上げていく不断の努力は欠かせないと思います。そういう意味では、語りかけをしない場合と一緒ですね。

匿名 さんのコメント...

ここしばらくの背景には「母国語」と「語りかけ」の醸し出す意味もあるように感じました。「語りかけ」は幼児の親なら「赤ちゃんにたくさん語りかけましょう」というような文脈でよく耳にすると思いますが、「母国語を育む」視点が混じる気がして、「英会話」よりも重く感じます。この言葉を取り上げた育児本としては特にイギリスの言語療法士さんが書いた「0~4歳 わが子の発達に合わせた「語りかけ」育児」が子育てママに人気で、言語を育む点では共通なので第二言語としての親子英語の文脈でも時々登場します。先日はその本で「母国語でない言葉での「語りかけ育児」はできません」と書かれていたのをネイティブ以外による語りかけの否定の根拠されていたのも見かけました。私には、「著者の提唱する1日30分の第一言語の養成方法、Baby Talk Programは第二言語の話者にはできない」ととれ、第二言語としての習得にまで言及しているようには思いませんでしたが、読みようによっては第二言語の学習の際の公立中学や英会話教室の日本人講師による語りかけも否定する方向に解釈できるかもしれません。

幼児に第二言語を身に付けさせる上で、第二言語話者の語りかけにはどこかで限界がくるでしょうし、ましてや第一言語レベルにまで育てあげるなら(うちは目指していませんが)第一言語話者による語りかけが必要なのはその通りだと思います。

でも何にしても是非は個々の家庭の事情により依りすぎていて(例えば海外在住家庭が自宅では日本語に限定するのは日本語のバランスからいって合理的ですし)、公の論争に適さないですね。落としどころとして思うところは皆さん案外近いのかも。

なおぱぱ さんのコメント...

>匿名さん

コメントありがとうございます。
母親と幼児の関わり合いについては、どうしても神経質というか、敏感になる方はいらっしゃいますね。「語りかけ」育児の本は私ももっていて、参考にしています。とても良い本だと思います。

個々の家庭でどうすべき、というのはまとめて議論するのは乱暴で、個別のケースごとに考える方が良い、というのはおっしゃるとおりだと思います。