2015年5月6日水曜日

小学生での英語教育の弊害について

なおももう3年生。

だんだん英語育児(あえて親子英語と言わずに英語育児と呼んでおく)の弊害というか、ネガティブな効果について分かってきたような気がする。

まず注意としては、ネガティブな効果の比較対象は「英語にまったく取り組んでいなかったら」と仮定した我が子の状態になる。英語をやらずに来たお友達の吉田太郎くん(仮名)と比べてどうこう、という話ではない。

はっきりしているのは、一日のうちで言語環境に触れられる時間が限られているが故に、英語に時間を割けば割くほど、日本語に触れる時間が減り、その結果獲得できる語彙が減少することになるということ。

それは、一日のテレビ・読書・その他をすべて日本語に費やしていたら日本語の語彙が12,000語に達していたはずなのに(語彙の数はあくまで例えばの話)、英語に触れている分、10,000語になってしまう、といった感じだ。

この効果はイマージョン教育などを対象にしたバイリンガリズムの研究でも言われている。

なおの場合、とにかく英語の語彙が発達している一方で、日本語の語彙が同等レベルにあるとは言えない(ような気がする)。

一日で言語に触れる時間には子どもによって差があり、同じ時間触れていても吸収量に差があり、さらに2倍の量触れれば2倍の語彙を獲得するわけではないので、単純に時間に比例するわけではないが、なおがもし日本語のみに触れていて、しかも英語に費やしている(私の)エネルギーをすべて日本語での教育に注ぎ込めば、今よりも日本語の語彙が増えていたであろう、というのは想像できる。



今のところ、ドラゼミなどをやらせている限りでは、日本語でも学年相応の学力はついていると感じるし、小学校でも困っているという話は聞かない。が、今後も注意深く様子を見守りつつ、家庭環境を柔軟に適応させていこう。

絶対的な読書量が多くなり、かつ語彙を効率よく獲得できれば、問題なく吸収できる程度の差だろう。

こんなことを考えたのはなぜかというと、ゴールデンウィーク中、読書は英語が中心で、実年齢より少し上のものも楽しめるのに、日本語の方は基本マンガばっかりだったから(^^;

ゾロリなど一年生向けの本は簡単すぎるように感じられる一方で、文字だけの本はまだ自発的に手に取らない。休み中、マンガは色々と手にとって眺めていて結構な時間を使っていたが、やはりマンガ以外も読んで欲しい。

休み中は少しさぼったが、また一週間に3,4冊を目安に日本語の本も図書館から借りてくるのを習慣にしよう。



もうひとつ感じるのは、やはり子どもの興味・関心には限りがあるので、英語がらみで世界の地理・歴史に注目させてきた結果、日本の地理・歴史への関心が今ひとつということ。

もちろん、3年生で日本の地理にも歴史にもまったく興味をもたない子なんていくらでもいて、英語教育は関係ないのかもしれないが、これも家庭での取り組みの配分が大きく影響しているような気がする。

もっとも、私自身が日本の歴史も地理も非常に弱いので(高校で日本史も地理もやらなかったような気がする)、当然と言えば当然。

そのあたりも考えて、この前は奈良の大仏様を見に行ったが、今回の休みでは大阪城に行ってきた。中には、ジオラマ+ビデオで豊臣秀吉の生涯を説明するという展示があって、なおは大喜び。



どうでもいいことだが、大阪城公園で食べたかき氷が異様にまずかった。なおがマンゴー味を頼んだが、マンゴーの風味がまったくせず、ただの黄色い砂糖水といった感じ。

ただの砂糖水でも暑い炎天下の中、それなりに楽しめそうなはずなのに、なぜか食べられない。なおが少し食べて諦め、私も一口で嫌になって捨てた(^^; まあ、周りの観光客は結構最後まで食べていたので、ハズレでもひいたのだろうか。

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