2009年7月15日水曜日

かけ流しを嫌がるときは?

うちは、英語教材に限らず、童謡のCDなどをすべてiTunesで取り込んで、居間にあるスピーカーでいつでも流せるようにしてある。

かけ流し、というのは幼児に限らず、英語学習全般でよく使う手法だと思う。周りに常に英語の音声を流しておいて、意識して聞く(聞かせる)のではなく、自然と耳に入れる。
他のおもちゃで遊んでいたりするときに、注意が切り替わるその瞬間に、ふと耳に入る英語の音に脳を慣れさせる、というのが目的なのだと思う。

もちろん、言語というのは相手と話すためにあるので、言語を獲得するために一番効率がいいのは、生身の人間と話すことだ。だから、かけ流しは時間あたりの効率は決して良くない。高額教材のDVDだのCDだのを流しておいたけれど、全然身につかなかった、という話はよく聞く。教材のセールスマンがなんと言おうと、それだけで英語が身につくことはない。

じゃあかけ流しって意味がないのか、というとそうでもないんじゃないか。このあたり、きちんと検証した研究があるのかどうかは知らない(し、調べる気力も時間もない)けど、他の手法との相乗効果はあると思う。これは、自分の英語学習でも体験済み。しっかりと英語を言語として使う時間を設けてやれば、それ以外の時間のかけ流しが、第2言語であるというハンデを補ってくれる。注意して聞けば意味のある言葉として認知できる、ってのが重要じゃないか、ってのが私の直感的理解。

で、本題。うちのなおはかけ流しに小うるさい。かけ流しというか、スピーカーから音を出すとき、自分の聞きたいものにこだわり、そうでなければ怒る。パパ・ママが歌を聴きたい、と言って音楽を聴くと、気に入らなければちょっとした暴君になる。だいたい、いつも聴きたがるのは、ママがリサイクル・ショップで借りてきたり、中古で買ったしまじろうのCD。

自分たちが聴きたいもののときは、なおがいくら喚こうが気にしないのだけれど、あえて「かけ流し」をしよう、というときに当の本人から抵抗を受けると萎える。私の方針としては、ともかく、英語の学習では子どもの嫌がることをしない、というのが第一。しまじろうのCDだって、日本語の刺激にはなるのだし、よしとして、その場では無理して英語をかけることはしない。

なおぱぱがかけ流しに挑戦するチャンスが朝と夜。朝は、なおが起き出す定時、7時半頃から。夜は、一緒に遊んでいるとき。とにかく、嫌がるそぶりを見せるのは、流しはじめるその瞬間だけなので、その瞬間さえ気を散らしてやればOK。

昨日のビデオ視聴は、ドーラの最新の回、おさるのジョージ、ドーラの過去の回。相変わらず、見たことのない回のドーラを見るときは怖くてパパの背中にへばりつきながらのぞき見るなお。いつスワイパーが出てくるのか、どきどきして仕方ないらしい。

パペット遊びでは、Uh-oh!と叫びながらMimiたちがベッドに倒れ込む遊び。

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